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広島や草津が発祥、またはゆかりの深い文物のご紹介。
「牡蠣養殖」
全国シェアの約六割を占め、広島の名産として名高いのが海のカキ。かつては、海の岩などに付着したカキをとっていたのですが、画期的な養殖法を開発したのが草津村の小林五郎左衛門(通称 小西屋五郎八)です。江戸時代の延宝年間に、干潟に竹などを立てて行う「ひび建て式」の養殖方法を開発し、大阪への販路も開拓。広島の牡蠣が日本一となる基礎を築きあげました。草津南の漁民会館には、小林五郎左衛門ら草津の人の顕彰のため建てられた「安芸国養蠣(ようれい)碑」が移築され保存されています。大正に入ってからは広島県が水産試験場を草津に設置。「杭打垂下法」「筏養殖法」などの新技術の研究や指導を行いました。
参考:かき養殖の歴史(広島湾)
「かに風味蒲鉾」
いわゆる「カニカマ」と呼ばれる棒タイプのかに風味蒲鉾は、草津南にあった大崎水産(現在は草津港に移転)の大崎勝一氏が昭和49年に開発したものだそうです。今では世界中の国々で蒲鉾が食べられるようになっていますが、そのほとんどは大崎水産の作ったのと同じスティックタイプのカニカマで、サラダにロール寿司にと活躍しているそうです。インターネットで"Osaki Kanikama"や"Osaki Brand"といったキーワードを検索すると、大崎水産が輸出しているカニカマを掲載した海外のページが数多くヒットします。
参考:大崎水産かに風味蒲鉾「フィッシュスチック」誕生秘話
「けん玉」
1918年(大正7年)に呉市の江草濱次氏が現在のけん玉の元となる「日月ボール」を考案。翌年、実用新案登録。1921年(大正10年)に廿日市の木工所で生産開始。廿日市のけん玉は、最盛期には全国シェアの4割を占めたそうです。また、廿日市の木工所は技術を活かしてヨーヨーなども数多く生産していました。
参考:はつかいち観光大辞典 特産品 けん玉
「モーニング」
名古屋が有名な「モーニングサービス」ですが、愛知県一宮市と共に、広島市も発祥の地とされています。タカノ橋商店街の喫茶「ルーエぶらじる」を写した1956年の写真に「モーニング」の文字があるそうです。パンとコーヒー、目玉焼きがセットで60円だったとのこと。この写真は、実際に発見されている「モーニング」の資料としては最古のものとなるようです
参考:モーニングサービスの発祥は広島?
「コシヒカリ」
「コシヒカリ」は、広島県高田郡(安芸高田市)出身の高橋浩之氏が、新潟県農事試験所において人工交配させて生み出した品種が元となっています。そのため、高橋氏は「コシヒカリの生みの父」とされているそうです。自ら進んで田での作業を行った高橋氏でしたが、戦争で自宅や資料は燃えてしまいました。しかし、高橋氏が保存していた種モミは保存状態が良く、戦後無事に発芽し研究は続けられ、「コシヒカリ」の誕生へとつながりました。残念ながら高橋氏はコシヒカリの成功を知ることなく、53歳で早世。後に功績を認められ、勲四等瑞宝章を授与されました。
参考:コシヒカリ開発由来 過去、現在、未来。
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